2006年大会詳細
キャンプ内の風景
7月22日早朝に関西国際空港からソウル・インチョン空港経由でフランス・シャルルドゴール空港入りした先発隊7名はパリに1泊した後、23日にフランス軍幼年兵学校のキャンプに入りました。このキャンプはフランス軍に入隊したばかりの軍人さんの訓練施設で、滞在中何度か列を組んで足並みの揃った行進訓練の様子を見る事が出来ました。以後、数名を除いて殆どのメンバーはキャンプ内の宿舎で寝泊まりをしていました。
我々は火薬で飛ばすロケットを主にやっていましたが、ここでは他にも水ロケットの大会やバルーンの大会、その他変わったものではロケットの中に生卵を入れ、いかに割らずに飛ばす事が出来るかを競う大会など様々な大会が行なわれていました。
今回の参加チームは約15組ほどで、当然ながら殆どがフランス人のチームでしたが日本人チームが宇宙クラブ関西チームを含めて3組ありました。
作業の合間に他のチームの方々が我々のロケットの見学に来て下さったり、ここを訪れたフランスの子供達に折り紙を教えて交流を行なったり、あんころ餅を作って振舞うなど、大変充実した時間でした。
検査の様子。赤い帽子の方が検査員さんです。今回のイベント主催団体であるPlanet Sciences(日本で言う宇宙少年団のような団体です)の方がロケットを検査をします。ロケット本体のサイズや重心のチェックや中に積んでいる装置の動作チェックなどをクリアしてやっと打ち上げの許可が下ります。
打ち上げの許可を貰うべく、大人もKSEの学生さんも途中参加となった後発隊の大阪桐蔭の生徒さん達も
みな一丸となり、自分の持てる力を各自精一杯に注ぎ、眠気・時差ボケ・疲れ、その他色んなことと闘いながら連日早朝から深夜まで作業をしました。途中何度もトラブルに見舞われましたが、現地のフランス人サポーターの皆さんや日本にいる方の助力もあり、なんとか打ち上げ当日を迎えたのでした。
左:ランチャーにロケットをセットするテスト / 右:打ち上げ前の最後の整備
打ち上げは7月29日でした。当日のお昼前に完成したロケットを車に乗せ、慎重に打ち上げ場に運びました。到着するとすでに本日の打ち上げが開始されており、他チームの打ち上げを見物する事が出来ました。 見事成功したり残念ながら失敗したりとチームによって結果はまちまちでしたが、観客の皆さんはそれぞれに賞賛やねぎらいの拍手を送り、ノミナル(予定通り)の宣言を貰ったチームは大きな歓声を上げ、喜びをあらわにしていました。
Planet Sciencesが設置した待機用のテントにロケットを運び、ロケット内部に模擬衛星2つを搭載し、ミス等がないか全員で慎重に確認した後、模擬衛星が搭載された部分の扉を閉めました。この確認が打ち上げ前の最後の確認なので、その場に居るメンバー全員が緊張の面持ちでそれぞれの部分の確認作業を見守っていました。途中再びトラブルがあったものの、とっさの機転でそれを無事に乗り越え、あとは残す所、打ち上げだけの状態となりました。
何組かが打ち上げた後我々の番が近づいてきた所で、完成したロケットをメンバーで慎重に担いでランチャーまで運びました。足元がデコボコしており、緩やかな下り斜面の道だったので、一歩一歩足元とロケットを確かめるようにして全員で降りて行き、ランチャーのそばまで運び打ち上げの順番が来るまでの間置いておく事となり、一旦観客のいる所へ戻りました。
とうとう時刻は夕方になり、いよいよ我々のUCK-06ロケットが打ち上げられる時がやってきました。発射のスイッチを押すため、団長とプロジェクトリーダーだけがランチャーに向かって行き、残りのメンバーは他の観客や日本から打ち上げを見に来て下さったサポーターの皆さんと一緒に固唾を飲んで打ち上げを待ちました。
15分ほどしたところで発射準備完了の信号が点灯し、カウントダウンが始まりました。通常はフランス語なのですが、日本人チームという事で気を使って下さったのか英語でカウントをして下さいました。皆祈るような気持ちでランチャーを見つめ、アナウンスと共にカウントしました。
テン、ナイン、エイト、セブン、シックス、ファイブ、フォー、スリー、ツー、ワン、ゼロ…
打ち上げの瞬間
7月29日 現地時間17時43分。日本時間では7月30日深夜0時43分。ロケットエンジンのプシュ―――ッという噴射音と共に我々のロケットが空に舞いました。
発射直後は無事に打ちあがったかのように見えた我々のロケット・UCK-06でしたが、なんと発射後すぐに空中でバラバラに分解してしまったのです。後の解析で判ったのですがそれは約2.4秒後の出来事でした。
皆必死にロケットと2機の模擬衛星の行方を見守ります。ロケット本体のパラシュートは何とか開いたように見えました。2機の模擬衛星は放出はされたものの、大阪桐蔭中学・高校の衛星はパラシュートが開かずにそのまま落下していきました。もう1機のKSEの衛星はパラシュートが開いたようでしたが、ロケットと桐蔭の衛星の落ちて行った方向とは全く逆の森の方向にふわふわと向かって行きました。
打ち上げからしばらく経って、CNESの方が結果のアナウンスをして下さいましたが、普通は成功かそうでないかだけの短いものであるのに対し我々のロケットに関してはロケット本体の他に2つの模擬衛星と合わせて3つの評価箇所があったため、成功・失敗どちらとも言い切れずに、その時点で分かる範囲でどういった状況であったかの説明が簡単になされました。説明が終わった後、観客の皆さんは我々にあたたかい拍手を送って下さいました。
全ての打ち上げが終了した後、GPSガイドと呼ばれる方と一緒に全員でロケットと模擬衛星を回収しに打ち上げ現場を歩き回りました。ジーンズごしに足を容赦なく攻撃してくるいばらの中を掻き分け、うっそうと茂る森の中に入り、なんとかKSEの模擬衛星以外は機体のほとんどの部分を打ち上げたその日のうちに
回収する事に成功しましたが、満身創痍という言葉が相応しい状態での再会となりました。
打ち上げの次の日も、KSEの模擬衛星を回収すべく打ち上げ場を捜索し、衛星の一部は見つける事が出来たものの、本体そのものやその他の部品を回収する事は残念ながら出来ませんでした。
日本に持ち帰って回収した機体や映像等を分析して分かった事ですが、ロケットが分解してしまったのは地上から約200mほどの地点だったようで、本体はそこからさらに100~200mほど飛行し、高度は400~500mの地点まで最終的に達したようです。
打ち上げの結果そのものは非常に残念なものでしたが、だからと言って成果がゼロであった訳では決してありません。今回の渡仏は短い準備期間にも関わらずサポーターの皆様方を含め技術、製作、管理の体制が構築出来た事、フランスの様々なチームとの交流の中で日本の関西という地域をアピールする事が出来た事、年齢や職業も様々なメンバー達が結束を固めて様々な困難に立ち向かっていけた事、来年度以降の大会時にフランスで活動する際の地盤固めが出来た事、フランスの高校生達との共同プロジェクトが来年度に計画される事などたくさんの収穫がありました。
当クラブはロケットを飛ばす事を目的として捕らえるのではなく、年齢や職業など様々な違いを持つ有志の志をひとつにして日々技術や能力を育てていくための手段として捕らえている面もあるため、分解されてしまった事を ”残念でした” と言って終わるのではなく、様々な角度から分析し、来年度への教材として生かしていく事が出来れば、今年度はこれ以上ない成功<ノミナル>であると我々宇宙クラブ関西一同は考えています。
今回宇宙クラブ関西メンバーと共に渡仏し、搭載する模擬衛星の1機を担当・奮闘して下さった大阪桐蔭のロケット研究部の皆さんの活動報告は以下のURLにてご覧頂けます。
http://www.osakatoin.ed.jp/pdf/Rocket-06-web.pdf